大竹港からの引揚者数は41万人!大竹海軍潜水学校・大竹海兵団 モニュメント monument 15min

大竹港のはずれにこんな建物のモニュメントの一部があります。

monyument

見てみるとこれは昔あった「大竹海軍潜水学校・海兵団」のモニュメントの様子。

潜水学校と言うのは潜水艦の乗組員育成を目標とした機関です、当時日本にひとつだけ!!

ふむふむ、調べたところ以前海軍潜水学校は広島県呉市にあったようですね。

けれども戦況が拡大していったので拡充を迫られ旧帝国海軍は近くで移転場所を

サーチしていたそうです。すると大竹市にいい場所を発見!

(呉市からだと海路で行くとだいたい40km、陸路で60kmぐらいでしょうか。)

大竹のその場所には前々から新興人絹(株)という会社があったのですが、時代背景からでし

ょうか、新興人絹は無償で旧帝国海軍に野球場二個分にあたる26000坪提供し移転が決定したと言うこと。

これ取られたのでは?

その後、旧帝国海軍はドカンと建設して増設につぐ増設を繰り返して←この時も新興人絹さんは・・・。

全盛時には潜水学校学生1000名、海兵団練習生6000名にもなる規模だったようです。

unnamed

unnamed (1)

郷土史より・・・・・・・。

すごい規模の建物だ。。。

こんなに立派だったとは。。この中で潜水艦乗りを教育をしていたようでございます。

逆に残っている建物など部分が少なくて残念なくらいです。進駐軍に壊されたんでしょう。

そしてその際潜水学校には四隻の潜水艦 伊153潜 / 伊154潜 / 呂59潜 / 呂67潜が練習用と

して呉から移ってきたようです。この潜水艦については残念ながら詳しくないのでまた興味あ

る方いたら教えてください。。

ちなみに現代は「艦これ Kantai Collection で伊勢型の潜水艦はゲームやアニメでこんな

風に擬人化されました。はいどうぞ。

 

キャプチャ

現在「艦これ」の聖地巡礼のスポットには出てきていないので微小ですが

だれか載せてしまえばトップランナーになることができるでしょう。

 

結局、潜水学校自体は瀬戸内海を米兵に機雷で封鎖されたた

め、練習することが難しくなり1945年に石川県に疎開移転してしまったようです。しかし機能はしなくなったものの建物を利用して、戦後は跡地で引き揚げ兵の復員港の窓口として使われ重要な役割を担いました。

大竹の受け入れた復員は全国の6.8%になるそうで、たくさんの人で賑わったようです。

410,000人というデータもあるのでもしかしたら周りにもまつわる方がいらっしゃるかもしれませ

んね。

さて、最後になりますがモニュメントの写真です。

その当時学生たちが授業の際使用していた施設のようなのですが

何を練習するための建物でしょうか。

昔この建物は「海に浮かんでいた」そうなんです。そのことがヒントになるかもしれませんね。

そして現地にはモニュメント横に説明書きがあるので行ってみてください!

 

それではENJOY!

潜水

 

The building had been nurturing a soldier riding a submarine in the military at the time of the war.

After the facility which had been moved to Otake City from Kure, it was again moved to the Ishikawa Prefecture in 1945.

ISEGATA submarine seems to have been deployed in practice.

Recently, the submarine is a popular game and anime.

This building was also a school.

 


大竹港からの引揚者数は41万人!大竹海軍潜水学校・大竹海兵団 モニュメント monument 15min” への7件のコメント

  1. 江山と申します。
    突然のコメント失礼いたします。

    現在90歳になる私の祖父が、20歳当時、大竹海兵団の海軍潜水学校にいたそうで、検索しているうちにこちらのサイトにたどり着きました。

    掲載されている大竹海兵団の本部、海軍潜水学校の写真は、「郷土史より」とのことですが、その郷土史はどちらで拝見できますでしょうか?

    お手数ですがご連絡いただけると幸いです。
    よろしくお願いいたします。

    • 江山様
      コメントありがとうございます。
      早速ですが、私の所持している資料は市制30周年ふるさと大竹
      という資料です。この資料は祖父が文化協会会長だったこともあり我が家に現存はしておりますが、図書館にあるか確認しておりません。
      市立図書館に大竹市史がございますのでそちらを参照にすると詳しく見つかるかと思います!
      終戦記念日近辺には横に併設の総合体育館にて潜水学校などの資料を展示しておりました。

      遠くにお住まいでしたら認証させていただいたメアドに画像ファイルで手元にあるものだけですが送信いたします。
      またお返事くださいませ!

      • YANAKEN様
        すぐにご返信頂いていたのに、気づくのが遅くなりすみません。
        ありがとうございます!!

        大竹市史は図書館に行けば拝見できるのですね。
        また終戦記念日等にはお隣の体育館で資料の展示もされているとのこと、詳しい情報をありがとうございます。

        祖父は、約70年ぶりに見る写真にとても感動しております。できれば写真に焼いて欲しいと言っているので、今すぐにでも広島に向かいたいところですが、遠方に住んでいるため、お手持ちの画像だけでも頂ければ大変ありがたいです。

        お手数をおかけいたしますが、認証メールアドレスの方へお送り頂けますでしょうか。
        宜しくお願い致します。

        • 江山様

          ブログ冥利に尽きます、この出会いに感謝します!
          送信いたしますのでしばらくお待ちくださいませ!

        • ただいま手持ち分の資料を添付いたしました!あとは認証アドレスでもご質問にはお答えできると思いますのでよろしくお願いいたします!

  2. うちの祖父も、ここに通っていたそうです。原爆の日も。いまだに校歌を歌って元気にしてます。立派なところだったのですね。

    • コメントありがとうございます。
      夏になると戦争を思い出すのは日本人のさだめなのでしょうか。
      おじいさまとの思い出を大事になさってください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA