弥栄ダムに水没した街が姿をあらわす。故相川勉美和町長の回顧とともにvol2

 

弥栄ダムの減水に伴う景色の美しさに癒された後、近くの図書館へと車を

走らせました。大竹市の図書館にはそれほど面白いと思われる資料は少なく

旧美和町の管轄の図書館ならばなにか水没した集落のことがわかるのではないかと

いうのはおのずと浮かぶもの。

そこで上記の写真の書籍をみつけました。

相川勉氏というのは旧美和町の町長さんらしく略歴は以下です。

東京大学から労働省という超エリートさんです。

そのかたが退官後に記されたのが20年の記録とのこと。

面白い表記がたくさんあったので抜粋します。要はなぜ弥栄ダムが完成し、美和町の一部が水没するに至ったのかというその回顧録です。

弥栄ダム事情

美和町長に赴任してから、大竹市経由で岩国市に出入りする途中が、一番心痛でした。夏にでもなると、でこぼこ道で、黄塵がまいあがって、車内に侵入するから、何も彼も真っ白になる状態でした。』

美和町に向かう道の整備に関して思いを持ってお折られたと感じます。

 

詳しくは読んでもらえたらと思いますが、美和町がダムに関しての犠牲となることで一手に引き受け、山口県熊毛郡出身の佐藤栄作総理が在任中に話をまとめてすすめようというスピード感を持って取り組んだと言うことだと思います。

コンビナート産業構造をもつ大竹市・岩国市にでさえ推進しづらかった部分を美和町がかぶったような意味合いを感じます。その当時のことを考察しても美和町は大きな産業を持つわけではなかったため自治体管理の生見川ダムから国の管理の弥栄ダムの誕生は大きな可能性を感じたものに違いありません。

最後にこれに伴い美和町の周辺に文化保護と記録のために民俗学の宮本常一氏を代表とする一行が調査に入った記録が図書館にありました。これもなかなか読み応えのあるものですので近くにお立ち寄りの際はぜひ読んでみてください。

 


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