弥栄ダムに水没した街が姿をあらわす。故相川勉美和町長の回顧とともにvol1

弥栄ダムに水没した街が姿をあらわす。故相川勉美和町長の回顧とともにvol1

先日見つけた大竹市1986年のゼンリン地図です。

そう弥栄ダムがありません。1991年に完成し、2021年には30年を迎える

ダムを一度見つめなおそうと考えていました。今回中国新聞のコラムに

弥栄ダム施工に伴い水没した旧美和町の街に住んでいた方が2019年明けに

減水に伴って昔の地形が再び世に姿を現しているとの内容をみつけました。

そこで下記のゼンリン地図を引っ張り出して眺めてみた次第です。

この当時は安条のほうから飯谷の方にあがっていく道はなく、川沿いの低い位置を走る道路が引かれていたようです。これは両親談ですので現実は写真を探すしかありません。

 

このパンフレットはダム管理所で配布されているものです。このみえる道路が昔

使用していた道問ということでしょうか。現在は発電所へとつながっているように見えます。

この画像は美和町の資料で弥栄ダム管理所にある資料館の一部です。

上半分は生見川ダムであると思われます。

下に弥栄ダムができる前に大橋を建設中の一こまであると思います。

まだ谷部分に川をまたぐように橋がかかっています。この橋がなんと言う橋かは

上記載の大竹市のゼンリン地図からはどうみつけるのかわかりませんでした。わかるかたぜひ教えてください。

ほかにもこのような建造中の写真もありました。

これが2019年1月の弥栄ダムの状況です。

水位100mといったところでしょうか。

さてここから上流へと向かいそして水没した地区へと出向きます。

こちらは大竹市側上流の白滝公園広場です。

普段をご存知の方はだいぶ減っているのが見て取れるのではないでしょうか。

現在は工事車両が出入りしている様子も確認できましたので

もしかすると浚渫のようなことかなにかを現在実施している最中かもしれません。

 

高鉢橋と言う欄干と橋脚が顔をのぞかしています。この道はおそらく飯谷の方からこのまま蛇喰のほうへとつながっている旧道かと思われます。

にしても目を奪われるほどの美しさを兼ね備えた砂礫と花崗岩の岩肌で、写真を撮りがいがありました。ただ、触れるといつ崩落するかもわからないような状況も多々ありましたのでお気をつけください。

次に美和町側に入り水没していた地区を調べることにしました。すると論文に黒沢集落と記述がありました。車を走らせると黒沢グランドという地点を発見し降りてみることに。黒沢グランドはいつもサンチャロウ祭りを開催している場所ですね。

おりていくとおそらくコラムにあったのはこの一帯であったのだろうとわかる場所尾でした。石垣をつんで畑を作っていた跡地と農道が残り、こうして細い河川をはさむようにして橋がかけられたものが現存していました。残念ながら橋脚には名称の記述が欠損している状態でした。家屋のあとや、井戸跡のようなものはみつけることはできなかったのが残念です。

そしてそのあと気になったので図書館に向かい弥栄ダムができるまでの資料を紐解いてみようと思います。

 

ちょっとそれは次回と言うことで!つかれました!


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