伝説の任侠もの??中川出来太郎の足跡をたどる!

明治・大正・昭和と激動の時代を駆け抜けた男「中川出来太郎」氏について

しってることをまとめました。

キャプチャ004

石碑は大竹市元町4丁目の本通り沿いにあります。頑丈な門扉と鎖に覆われて守られている様子がわかります。肩書き名は「大日本国粋会広島縣本部長

大日本国粋会というのは土建関係の右翼団体でした。

キャプチャ001

横には鎖の寄付者の一覧がありますが広島県知事「楠瀬 常猪」とあります。戦後初公選県知事のようです。他にも衆議院議員・参議院議員・県議会議長というメンバーです。鎖は戦後に寄付されたことがわかります。

キャプチャ002

石碑の裏面です。石碑の建立は大正15年十月一日。赤穂浪士四十七士を引き合いに出しているようですね。しかし、読みきることが出来ません。実力不足。

寄付者の名前も当時の大竹町有力者だったことでしょう。

IMG_2896

お墓を別場所に見に行きました。建立碑に書いてある光明寺の裏手にあります。高さは3m近くある塔のようなお墓です。

IMG_2897

没年日は昭和30年4月25日とあります。ですので生きているうちに大きな石碑はすでに建てられていたということになりますね。建立された時から30年以上後に没しているためもしかすると相当若いときから実力者だったのかもしれません。

IMG_2898

右面には略歴がびっしりと記載されており、大日本国粋会広島県本部長以外にも広島県議会議員・広島市議会議員も歴任しているようです。

IMG_2899

昭和16年6月大竹警防団《自警団??》の「皇軍武運長久祈願為九州諸軍神参拝記念」のときの写真が出てきました。団長はもちろん中川出来太郎。

昭和16年《1941年》は皇紀2601年にあたり、前年の昭和15年に宮崎県奉祝会が中心となり、『八紘之基柱』(あめつちのもとはしら)の建設と周辺広場の造成を実施。作業員延べ66,500人、総工費67万円をかけて1940年11月25日に完成。

こちらを参拝に行ったものと思われます。

Founding_Ceremony_of_the_Hakko-Ichiu_Monument

この写真はwikiから拝借いたしました「八紘一宇」

 

九州を一周ということでかなりの大掛かりな参拝だったと思われます。大東亜戦争の始まる直前の資料のため、戦禍の足音を感じる資料だと思います。

最初の入った場所福岡県「箱崎八幡宮」の一場面。

キャプチャ

軍服を着こなしてすらっとした体形です。生まれは明治期だと思われるので壮年をうかがわせます。没年が昭和30年ですしね。

箱崎八幡宮は元寇襲来の際に亀山上皇が必勝を祈願した場所とされます。ですので当時の旅程にはあっていたものと思われます。

IMG_3632

大竹町の町長の歴代資料が見つかりました。この写真が撮影されたときには肩書きが町長であったことがうかがい知れますね。二階堂哲朗さんが至現在とあるようにこの資料は昭和29年のものです。

IMG_3630

さらに中川氏は大竹市の特産でもある和紙の会社「大繁製紙株式会社」の社長であったこともわかります。電話が3ケタしかないのが面白いものです。

20120608_112418

広島県和紙商会さんの画像をお借りしました。高級用紙だったようですね。

 

さて、こういった資料が出てきたことはうれしいことですがまた反響があれば《ご存知の方はまた教えてください》お知らせします。

最後に、10月3週に行われる大竹祭りの元町4丁目の《上り組》太鼓台は昭和28年に中川出来太郎氏の寄付を基にして作られたという話を先日地元の方から耳にしました。今の時代にもしっかりと受け継がれているものが存在するという意味でも愛された人物であったことでしょう。

そして何が伝説かというと当時の任侠ものとしての人気もすさまじいものだったらしく歴史研究会の話では仲間がバイクで全国各地から石碑の建立を祝いにやってきた為けたたましい爆音が町にとどろいたという、逸話が残されているためです。親分肌としても有名だったようです。


伝説の任侠もの??中川出来太郎の足跡をたどる!” への2件のコメント

  1. 初めまして。

    「自動車工学」誌、昭和28年5月号に、
    「80歳の老人がオートバイ旅行」という見出しでニュースが載ってました。

    『この元気なオジイサンは、皇居前広場を出発し、伊勢神宮をはじめ各地の名所を訪ねながら広島へむかうと。ハンチングに茶のジャンパー、長靴に足ごしらえも厳重に、白いアゴヒゲをしごきながら 颯爽と愛車にまたがった・・・』
    とありました。
    名前がユニークでしたので検索してみたところ、このブログにたどり着いたしだいです。

    きっと「箱崎八幡宮」の写真そのままの おカオで、粋なスタイル。
    亡くなられる直前のツーリングだったんでしょうが、その生きザマにシビレます!!

    • いいですねーーーー!なかなか想像できる風貌ですね。地元ではデキヤンというあだ名で親しまれており、いまだに言い伝えがあったりもします。
      また面白い話があれば教えてくださいね!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA