期間限定公開「玖珂の代官所・本陣跡地」を見てきたよ!

江戸時代の建物跡出土 玖珂本陣・代官所跡発掘調査 岩国

岩国市玖珂町の玖珂小の校舎建て替えに伴い、市教委が同小グラウンドで行っている玖珂本陣・代官所跡の発掘調査で、江戸時代の建物跡や井戸などの遺構、陶磁器や瓦など多数の出土品が見つかった。市教委は「江戸時代の絵図で示された本陣と代官所の存在が裏付けられた」としている。

2015年09月28日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

読売新聞にこんな記事が出ていました。調べてみると10月2日まで一般公開中と耳にしたんでいってきました。

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現場は玖珂小学校の校庭です。玖珂支所のほうから回って駐車場に停めました。

玖珂の本陣といえば西國街道(京都山崎から下関赤間)の御庄宿と高森宿の間に存在する宿場町です。以前から玖珂の町は岩徳線が通っているとはいえ山奥にも関わらず住宅数も多く、国道の接点も多く、高速のICもあるので不思議な感じがしましたが少し謎が明らかになった気がします。つまりは以前からの参勤交代の道であり往来の多い街道であったわけですね。欽明路を越えて岩国へと向かうには玖珂の宿が天候待ちにも必要だったのかも知れません。

先に参勤交代の話をしておきますと、大体朝4時には出発を終えて日の入り18時くらいまでずっと移動していたといわれています。移動や滞在にも当然諸費がかかるためいかに迅速に江戸へ上るかがテーマだったようです。こんな唄が残ってると先日歴史協会の例会にて話がありました。

「有馬玄蕃さまは 花岡泊まり 関戸お宿で 玖波どまり」

これが一日の参勤交代の行程だとすれば50km距離を移動していたことになります。

キャプチャ

現地レポ

さて早速目前に遺跡が広がっていました。9月27日には150人を中に招き入れて遺跡の説明が行われたようですが、現地には私は行くことができませんでした。

しかし現地にいらっしゃったかたとお話をしてみると「深さ5mの井戸が残っていたよ」と写真を見せてくださいました。きちんと石蓋で覆われていたようで綺麗に埋まっていたようです。

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おそらくこの箇所ではないかと思われます。小学校の建替えは確実に実施されるので今回は記録用に公開をしているとのことです。当日はヘリコプターを飛ばして上空から空撮をしていました。

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写真はわかりづらいですがヘリコプターを飛ばす直前の様子です。農薬散布用のラジコンを使用すると耳にしました。

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また岩国徴古館の職員さんもいらっしゃったので話をお聞きすると発掘されたものに大きな瓦があったので鑑定したところ江戸時代の始めに一国一城の令がお触れとされたときに岩国城が破却された際に処分され玖珂の代官所・本陣へと転用された瓦が出土したということでした。400年の月日を越えて現存とは夢のある話です。ここは本陣と代官所を兼ね備えたような場所だったとおっしゃってました。

ちなみに岩国城ができるまでに一度吉川氏は由宇に住んでいました。その後、周防長門2国の西の端に適した土地として岩国を選びました。一国一城令では毛利は長門。吉川は周防だから岩国城は破却免除かと思うかもしれませんがそれは適いませんでした。天草四郎の戦乱も起因して石垣さえも破却させられたという顛末です。残念なことです。

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岩国城平面図

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こちらは脇本陣の跡で、現在はどなたかお住まいだと耳にしました。

玖珂郡誌

延宝四年《1676》玖珂に代官所を置かれ、以降玖珂は山陽道の要衝として岩国半西部の政治・交通の中心として明治初期まで繁栄をきわめた。

また代官所は現在の玖珂小学校の校庭にあって、代官所の表座敷は諸侯参勤交代の宿舎にあてられ、茶屋と称せられた。現在の町役場の北側の小学校校庭に以前大きなもみのきがあったが、それは御茶屋の庭にあったものだという。

中略

代官所に属する建物は倉庫・口屋番所・番所・山番所等があった。

 

以降廃藩置県による政治機構の移転や、鉄道網の普及、自動車の一般化により人の動きは多様化していきましたが現代の玖珂は岩国・徳山の通勤圏としても存在意義は大きいといえるでしょうね。

もう一つ赤間側の次の本陣「高森」のほうが資料と建物が残っているので面白いかもしれません。高森は毛利の管理している萩藩の管轄で「玖珂」は吉川の管理している岩国藩の管轄でした。岩国は支藩だったので参勤交代で通過するときに盛大にやるとしたら本藩である高森のほうかなとも考えたりもします。

 

ちなみに

大竹には玖波にも本陣がありましたが残念ながら第二次長州征伐(幕長戦争)の際に消失しています。残念なことです。他にも「間の宿」の要素で木野川の渡しの箇所に増水時に休む脇本陣??みたいな場所もあります(現存)こちらは天璋院篤姫さまが島津藩よりの行程で木野で一休みしたと記録があるようです。また追って記事書きます。

ENJOY


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