新港を一人ブラタモリw第六潜水艇と佐久間大尉

 

シルバーウィークですね、カープの記事をすっ飛ばして先に今日行ってきたスポットの紹介をしておきます。

国道2号線沿いにある、岩国市装束にある記念碑「第六潜水艇記念碑」です。以前より前を通ったことはあるものの目の当たりにしたことは無いので、徒歩にて行ってまいりました。

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こちらが上がり口にある案内板です。だいぶ昔のしかもスチール製?なのでさびが近寄ると見えました。毎年4月の14日に例祭を催しているようですね。

しかしこの時点では何を祭るものなのか死者なのか功績者なのか被害者なのかまったくわかっていませんでした。

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山道がつづいており途中でトイレが完備しておりました。そして電車が通っている山の上にあたるようなのでトンネルの上に立地している感じでしょうか。

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するとすぐに丘の上に到着して看板がありました。そしてそこには「佐久間艇長遺書」とありました。すぐにwikiをみると明治43年に岩国港を出航し、潜水艦のガソリン運行の試験時に15人を乗せた潜水艦に異常が見つかり沈没した過去があるようです。そして、その過去を例祭として存続させているようです。

 

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wikiより引用

1910年(明治43年)4月15日、第六潜水艇はガソリン潜航実験の訓練などを行うため岩国を出航し、広島湾へ向かった。この訓練は、ガソリンエンジンの煙突を海面上に突き出して潜航運転するもので、原理としては現代のシュノーケルと同様であった。

午前10時ごろから訓練を開始、10時45分ごろ、何らかの理由で煙突の長さ以上に艇体が潜航したために浸水が発生したが、閉鎖機構が故障しており、手動で閉鎖する間に17メートルの海底に着底した。第六潜水艇は日ごろから長時間の潜航訓練を行っていたため、当初は浮上してこないことも異常と思われなかった。また、母艦の見張り員は、異常と報告して実際に異常がなかった場合、潜水艇長の佐久間大尉の怒りを買うのが怖くて報告しなかった、とも述べており、調査委員会はこの見張り員の責任を認めつつも、同情すべき点が多いとして処分していない。異常に気がついた後、歴山丸は呉在泊の艦船に遭難を報告。救難作業の結果、16日(17日)に引き揚げられ、内部調査が行われた。佐久間艇長以下、乗組員14人のうち12人が配置を守って死んでいた。残り2人は本来の部署にはいなかったが、2人がいたところはガソリンパイプの破損場所であり、最後まで破損の修理に尽力していたことがわかった。  歴山丸の艦長は、安全面の不安からガソリン潜航をはっきりと禁止しており、また佐久間大尉もガソリン潜航の実施を母船に連絡していなかった。歴山丸の艦長は事故調査委員会において、佐久間大尉が過度に煙突の自動閉鎖機構を信頼していたことと、禁令無視が事故を招いたのだと述べている。また、事故調査委員会では、潜航深度10フィートと言う、シュノーケルの長さよりも深い潜航深度の命令があったと記録されているが、実際にそのような命令ミスがあったのか(このようなミスは考えにくい)、記録上のミスなのかは不明。

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立派な石碑が建ち第六潜水艇殉難者記念碑と記しております。

  • 艇長 佐久間勉 大尉

(以下50音順)

  • 浴山馬槌 一等兵曹
  • 遠藤徳太郎 一等水兵
  • 岡田権次 一等機関兵曹
  • 門田勘一 上等兵曹
  • 河野勘一 三等機関兵曹
  • 鈴木新六 上等機関兵曹
  • 堤重太郎 二等兵曹
  • 長谷川芳太郎 中尉
  • 原山政太郎 機関中尉
  • 檜皮徳之亟 二等機関兵曹
  • 福原光太郎 三等機関兵曹
  • 山本八十吉 二等機関兵曹
  • 吉原卓治 三等兵曹

 

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沈没した地点は装束の沖合い2000m地点で阿多田島の手前になるようです。

佐久間大尉以下全乗組員は、自分の持ち場を守り抜き悲しいことに全員が亡くなる悲劇でしたが、佐久間大尉にいたっては今後の潜水艇の発展を遺書の中に祈った記述があり、多くの外国人にも感銘を与えました。このころの海外の潜水艇事故の場合自分が生き残ろうと殺し合いをしていた過去もあるようです。

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現在はコンビナートが林立する向こう側に見える地点です。(手前側に新しい橋が作られていますね)

 

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小高い丘の上からは大竹市の風景もよく見え、下には和木駅方面が見渡せ、電車の撮影にもよさそうです。もしかしたら夜景も見えるかもしれませんね。

 

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なかなか近くに住んでいても知らないことは多いものです。装束地域には神話もありますし、幕末には新港に西郷隆盛が上陸し長州征伐回避のため吉川氏と話をした歴史もあるようです。また機会があれば調べてみようと思います。

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こちらは降りた側です。かなり看板の劣化が見られます。岩国水交会さん奉賛会さんがんばってください!

ENJOY

装港小学校の裏山が目印です!


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