亀居城近辺「岩国・大竹道路」の建設状況《2015年9月》

日小方方面に自転車で行くことがあったので現在建設中の「岩国・大竹道路」の現場を見てきました。着工はしましたがまだ用地買収が完全には終わってないため完成は程遠いそうでうす。

竹市の元町にトンネルが抜け橋がかかり和木・岩国につながるルートなのですが、地権者が入り乱れているという情報もあります。また住民から、両国橋・会社橋《井堰》の間に橋が無いため、人や自転車の通れる通路や階段をつけて欲しいとの要望もあるらしいので慎重に進められることでしょう。

てこの道は大竹側は亀居城があることも要因とし、遺跡を避けるように道が計画されております。ですが本当に横を横切るため遺跡発掘も合わせて行われています。

下は公益財団法人広島県教育事業団事務局 埋蔵文化財調査室のHPよりいただきました。

〔調査の概要〕

 遺跡は近世初頭に福島正則によって築城された亀居城跡の南裾に位置し,近世西国街道筋にあたっており,昨年の第1次調査では5層にわたって近世町屋跡の遺構が確認されています。広範囲に火災の跡も発見され,幕末の長州戦争の痕跡の可能性が高いとみられています。第2次調査は,街道を挟んで海側の地点を主に発掘調査します。近世西国街道の町並みの様子や長州戦争の実態を明らかにする発掘調査成果が期待されます。
発掘調査は,西側から調査を進め,第1次調査と同様に西国街道沿いで火災痕跡や石列などを確認しています。今後の調査では,亀居城跡の南東に位置する妙現丸と呼ばれる郭の一部を発掘調査する予定で,近世初頭の亀居城跡の遺構の発見が期待できます。

のように、第二次長州征伐にて大竹の街は焼き払われた過去があるため失われたものもたくさんあります。玖波にあった本陣が消失したことは本当に口惜しい。

た亀居城は以前は海に面しており、亀居城が築かれた1608年は海上からそのまま石垣用の石の運び込み・木材の運び込みがノリ面を伝うようにしてなされたということです。今後どんどん発掘によってわかってくることがあると思いますし、期待したいところです。

さて現場の様子と今後のイメージ図です。

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こちらが予定図です。

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大願寺山がまだ造成前のようなので《どうやら完売したようです天晴れ》古い画像ですがイメージとしては十分です。亀居城をぐるっとするように道が作られます。左にピンクのゆめタウンの屋根が見えるのでそこを基準に場所をイメージしてみてください広島から山口方面に向かう場合右車線からの合流になるイメージでしょうか。ちなみに大竹ICから一車線を増やす予定なのか大竹日産さんの前あたり《白い屋根が見える工場近辺》はセットバックのように道路より植栽を下げたりして協力しています。

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居城の足元の買収済みの用地です。このように立ち入り禁止にしてあり発掘が行われています。済み次第進んでいくのでしょう。

 

れ以上に今回気になったのが宅地用に上げられた石垣と基礎です。高さが均一なのはもしかすると昔の水害特に高潮が来たことを避けるために高くされたのではないかということです。これは憶測ではありますが、先日の水害でも過去のデータを紐解くことは重要なことです。

在晴海沖に球場ができ、そちらは大災害のときのヘリの発着やキャンプ地になるようなことが書いていましたが「津波」「高潮」が被害の場合逆に危ないのではないかとも思います。特に歴史上、大竹市の街は二号線より沖合いはほぼ埋め立てで成り立っており、規模によっては地震による液状化も懸念されます。煽り記事のようになるのは避けたいですが、信じておきながら、耳にだけ入れておいてくださいね。私も大竹市歴史研究会の一員としてしっかり勉強してまいりますので!それではまた報告します。

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亀居城近辺「岩国・大竹道路」の建設状況《2015年9月》” への1件のコメント

  1. 私は岩国市在住で大竹岩国道路の山手トンネルが計画されている団地で山手トンネルに反対している連絡会の一員です。先週もこの小方地区に行って写真撮影をしています。遺跡の件はは昨年から発掘作業が始められて、最初は線路近くに発掘事務所がありました。昨年の秋頃に小方小跡地に移転しましたが、先週には姿が見えなくなりました。多分、旧事務所は盛土を置くために移転したと思います。石垣は多いなと思いました。大竹市も岩国市と同様に海を埋め立てて生活域を拡大しています。ちょっと気になったのは「大竹」という地名ですが、本当は「大瀧」ではないかと、昔の人は災害を伝授するために地名にそ
    の災害のことを刻み子孫に伝えたと聞いています。大竹市には「大瀧神社」と
    社があります。その地の社などは災害がありそれを伝え治める、ここまで水が来たなどを表していると文献には書いています。すいません、間違っていたら
    ごめんなさい。

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